HISTORY

ベリーダンスとは正式にはアラビアダンスといいます。アラビアンダンスは、女性の為に作られたダンスで、女性の体にやさしく、無理な動きもなく、女性を最大限に美しく見せるダンスです。そんなダンスの歴史をご紹介します。

  • 世界最古の踊り

    アラビアンダンスは世界最古の踊りと言われています。わかっているところで、8000年も前から踊っていました。その起源や発祥の地については様々な説が あります。インド・ラジャスタンのジプシーの踊りが元になっているという説やオスマントルコに始まり、母体信仰を起源として古代オリエントの時代より連綿 と続く女性特有の踊りでその後400年のオスマントルコによるアラブ支配の中でアラブ全域に広がったのではないかといわれています。オスマントルコの王宮 の奥深いハレムに仕える女性達が、絵画などにも残されています。オスマン・トルコ帝国がアラブ民族を支配した14~17世紀には、ハレムの女性たちがスル タン(王)のために踊る宴が盛んに行われ、絵画などにも踊る女性たちの絵が残されています。

  • 晴れやかな舞台で演じられるように

    トルコの支配下にあったエジプトは、19世紀以降はイギリスの支配を受けるようになりましたが、支配層や上流社会が生まれたことでショービジネスの世界が 花開くことになりました。それまでは結婚式や祭りの場などに限られていた踊りが、カイロ市街の劇場の晴れやかな舞台で演じられるようになったのです。この とき、豊満な腹部を大らかにさらけ出した(Naked Belly)東洋の踊りを初めて目にした西洋人は大きな衝撃を受けました。当時、西洋の上流階級の女性はみな、ここ何百年の間も、体をコルセットでウエス ト固めいたからです。

  • 民族的な踊りからエンターテイメントへ

    以来、エジプトの踊りは西欧の舞台芸術の影響も受けて次々に洗練されていきました。伝説のダンサー、バディア・マサブニが1926年に開いたナイトクラブ 「オペラ・カジノ」はタヒヤ・カリオカ、サミヤ・ガマールといった数々の有名なダンサーを生み、1940年代に最盛期を迎えました。1952年のエジプト 独立後、上流社会は消滅しましたが、新しい富裕層の誕生で舞踊の世界は新時代を迎えます。20世紀に入り、1930年代には、エジプトのダンサー、振付け 師たちは、これまでの民族的な踊りをステージで踊るエンターテインメントダンスとして発展させ、西洋のバレエ的な要素も取り入れられていきました。トルコ のベリーダンスでは、エジプトのようにダンサーの踊りの様式や衣装に制限が無かったため、さらに激しく派手な演出がされるようになっていました。トルコや イラン、アラブ諸国からの移民がニューヨークへと移住を始めた1930年代から1940年代にかけて、ダンサーたちはナイトクラブやレストランでそれぞれ の持つ民族的な踊りのスタイルをミックスしたダンスを披露し始めました。

  • マハムード・レダ

    1957年、ロシアのダンス・フェスティバルでマハムード・レダが所属するエジプトの舞踊団が出演して大絶賛を受け、その後、マハムード・レダによるレダ 国立民族舞踊団が設立されました。マハムード・レダはエジプト各地の民族舞踊を舞台芸術の域にまで高め、世界各地で公演活動を行い、数々のミュージカル映 画を世に送ったことでエジプト芸術界に多大な貢献をしました。レダ国立民族舞踊団ではナイーマ・アケフ、ファリーダ・ファフミなどのプリマ・ダンサーが活 躍。ナイーマ・アケフはタヒヤ・カリオカ、サミヤ・ガマールとともに3大オリエンタル・ダンサーと呼ばれ、今では伝説として語られています。

  • 圧倒的な存在感のダンサー

    1970年代以降は、ナグア・フォアード、フィーフィー・アブド、スヘイラ・ザキ、モナ・サイードといったダンサーたちが人気を極めました。こうした一流 のダンサーは専属のオーケストラ、歌手、裏方を抱える一座の女座長でもあり、平均エジプト人の年収を1ステージで稼いでしまうほどの集客力をもっていまし た。トップダンサーは踊りだけでなく、歌も女優業もこなす大スターであり、テレビや雑誌の誌面を賑わせる圧倒的な存在感を放っていたのです。

  • 今なお続くベリーダンスフェス

    2000年、世界的にベリーダンス人気が高まるなか、カイロで初のベリーダンス・フェスティバル「AHLAN WA SAHLAN(カイロ・フェスティバル)」が元国立レダ民族舞踊団のラィヤ・ハッサンによって開催されました。以来、カイロ・フェスティバルは毎年恒例の 一大イベントとなって、今では2000人もの参加者を全世界から集めるようになりました。現在はカイロ・フェスティバル以外にも、エジプトはじめ世界各地 でさまざまなベリーダンス関連のフェスティバルが開かれています。

  • 現在のベリーダンス

    現在はカイロをはじめ、ベイルート、ドバイなどアラブ諸国の大都市やイスタンブールのナイトクラブでベリーダンスを見ることができますが、民族舞踊をルー ツとした踊りの多様性、アラブ特有のリズム感、ステージの豪華な雰囲気という点ではカイロが本場といえるでしょう。ナイル・クルーズの船上でもベリーダン ス・ショーが毎晩のように開かれますが、カイロ・シェラトンなど五つ星ホテルのディナーショーで繰り広げられる一流ダンサーのステージは、ダンサーの技量 や存在感の面で格段に違いがあります。 近年は外国人ダンサーの増加が目立ちますが、ディーナ、ルーシー、ランダなどのエジプト人ダンサーは本場ならではの表現力で根強い人気を誇っています。

  • ダンスの基礎といわれるアラビアンダンス

    スラム園で踊られていたアラビアンダンスはその後、インドから来たジプシー達によって各地に伝えられ、フラメンコなどに発展したり、現在あるダンスの基礎 だといわれています。近年では女性の体に適した健康的な踊りといわれ、アメリカ全土やさまざまな土地にもベリーダンスの習える教室はあり、ヨーロッパには 専門的に技術を習得する為の学校も多数あります。そしてブラジル、韓国、中国、日本でもその人気は広がっています。

  • 色あせることないエンターテイメント

    本来、女性が肌を見せることのないイスラム社会のなかでベリーダンサーは独特な存在ですが、音楽や踊りが大好きなアラブの人々にとって、ベリーダンスは宴 には欠かせないものです。伝統舞踊という枠におさまることなく、時代とともに流行の歌や衣装を取り入れながら新しいスタイルを生み出しているベリーダンス は、今なお色あせることなく息づいているエンターテイメントです。

  • ベリーダンスは生活の一部に

    また、ベリーダンスの持つ不思議な魅力の一面として、近年にブームとなったヨガのような癒しの効果もある点でも注目を集めています。中東の多くの場所では、この踊りは女性によって女性のために、お家の中などで踊られています。お互いの美しさを認め、たたえ合い、憂さをはらし、楽しむために踊られる踊りです。自分自身がの持つ内面、性格、人間性が不思議と表現される、カジュアルなのに芸術性が高い魅力的な踊りこそベリーダンスなのです。