タヒチアンダンスについて
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食物の豊作や戦いの神様に捧げるダンス
タヒチアンダンスは古代からタヒチに伝わる伝統文化で、古来からタヒチの人たちに親しまれるダンスでした。人生の節目やお祭りの場などで、アリオイ(男女から成る旅芸人)が島から島へ移動し、食物の豊作や戦いの神様に捧げるダンスとして踊られていました。 また、当時は、女性は楽しみとして、男性は戦いの前に踊るという習慣もあり、ダンスは日々の暮らしの中で踊られていました。
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認められた『オリラア・タヒチ』
19世紀に入り、キリスト教宣教師たちによってダンスを禁じられました。 それ以降、約60年近くにわたって、公でタヒチアンダンスを踊ることは制限される時代が続きました。 そんな中でも、タヒチの人々は密かにダンスの伝統を守り続けました。 1895年、『オリラア・タヒチ』という名称で、タヒチアンダンスがフランス革命の記念イベントの一部として認められるようになりました。 タパやモレなどの伝統衣裳を身につけて踊れるようになったのは20世紀に入ってからのことです。
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新しいタイプのタヒチアンダンス
1950年代には、モウアという女性がタヒチアンダンスの伝統を継承しようと、ヘイヴァというダンスグループを結成し、公にダンスを披露する場が増えてきました。 古代のイメージとは少し違う女性らしい綺麗で優雅な動きを取り入れた新しいタイプのタヒチアンダンスを広めました。
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7月のお祭りには欠かせないものとなったタヒチアンダンス
その後、ヘイヴァ出身のダンサーが「イアオラナ・タヒチ」や「テ・マエヴァ」といったグループをつくり、ダンスコンクールで競うようになると、ダンスは7月のお祭りには欠かせないものとなっていったのです。 1984年、フレンチポリネシアで自治統治が始まるとともに、7月のお祭りは「ヘイヴァ・イ・タヒチ」と定められ、そこでのタヒチアンダンスが本格的に復興して現代に受け継がれてきました。
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世界中のたくさんの方に親しまれているタヒチアンダンス
お祭り前のタヒチはあちこちで太鼓、トエレの音が響き渡りたくさんの方が練習で踊っています。これがタヒチアンたちの楽しみでもあります。 タヒチの生き生きした真剣な練習風景にはポリネシアの先祖たちが誇りに思うでしょう。 そして現代、その素晴らしい文化的価値が認められ、タヒチをはじめ、世界中の レストランやステージ、コンクールで披露されるようになりました。 また、穏やかに平和で、笑顔いっぱいのダンスとしてたくさんの方に親しまれています。